白球にかける

『魂』を揺さぶる読み物



白球にかける・・・by芭麗人さん



この白球にかける

みんなの願いが、彼の打った白球に勢いを与えた。

そしてその白球に押されるように私のチームは念願の県大会出場を決めた。

ながくバレーの指導をしてきて私に誇れるものがあるとすれば沢山の素晴らしい生徒を持てたことだろう。

創部から数年後のことである。1人の新入生が私の前に立った。

名をTと言った。

『先生、バレー部に入れて下さい』其の声に驚いた。声変わりがしてなかった。130cm台であろうか、体重も30kg小学校四〜五年生のように見えた。

途中での挫折を思い、 バレー部の練習の大変さを語って入部を諦めさせようと思った。

(もしかすると・・徹底的に練習をすると決めていた活動の足手まといになると思っていたのかもしれない)

しかし『お願いします』と言ってその場を動かなかった。

・・・・入部してもおそらく三日ももたないであろう・・ 私は思った。

『とにかく今日は練習を見学しなさい。そして無理だと思ったら・よそうね』と言った。

その日はコートサイドで練習を見つめる彼を意識して日頃にもまして激しい練習をし、その上で『お父さんやお母さんにも相談してごらん』と帰した。

・・・・・おそらく明日はもう来ないだろう・・そう思った。

翌朝、学校に行くと職員室前に彼が待っていた。

「父も母も『頑張れ』と言ってくれました」 「今までスポーツをやったことがありませんが3年間絶対にやめませんからお願いします」と決意に満ちた表情で言った。

聞くと『先生に認めて貰おう』と6時前に家を出て、校門の前で学校が開くのを待っていた・・・ とのことだった・・その熱意に打たれて入部を許可した。

しかし正直言えば「何日持つのだろう」・・彼はなんと言うのだろう・・そしてその時私はそんな彼にどんな声をかけることが出来るのだろう・・そんなことで憂鬱だった。

(それまでの何人かの途中退部者との気まずい学内での関係を思った)

ところが、彼は想像以上の頑張りを見せた。

しかしあまりに体力がなかった。

サーブの練習で、いくら練習しても彼の打ったボールはネットまで届かなかった。

ある日やり残した仕事の為に早朝出勤した。

誰もいないはずの体育館で音がするので不審に思い見に行くと、彼が一人でサーブの練習をしていた。隠れてしばらく観ていたが、ほとんどボールはネットまで届かなかった。

カゴ一杯を打ち終わると、走り回ってボールを拾い集めた。

他の部員に聞くと「毎日6時前に家を出て体育館に来て練習しているらしい」とのことだった。バレー部に割り当てられた体育館の鍵は彼が持っていたことを思い出した。

(帰りのホームルームが終ると彼は駆け足で体育館に向かった、そして他の部員が来る前に一人でネットを張り、練習後も最後まで残って片付けをし、掃除をした。彼のおかげで部室はいつもきれいだった。)

・・・『特別に入部を許可されたのだから』と言った。

 もくもくと練習をした。それでも悲しいことに体力のなさからかパスは3mくらいしか飛ばなかった。そしてレシーブの練習では真っ先に特訓(ワンマン)を申し出、ボールを追って床を転げまわった。
 
(体力のなさで転げまわると言うより、床に身体を打ち付ける・・であった)

学年が上がっても練習後の下級生の特別訓練に付き合って、ボール拾いを行った。

こんなこともあった・・・。

練習途中明らかに顔色が悪く様子がおかしいので、額に手をやると、燃えるように熱かった。 それでも『大丈夫です』・・『練習を続ける』と言って、きかなかった。

無理やり医者につれていくと『何故今まで放っておいた』と私が叱られ・・そのまま入院した・・「風邪をこじらせて 内臓もおかしくなっている」との診断だった・・

一週間の療養のあと、すぐにコートに戻った。

はじめの頃なにをやっても様にならないその格好、生真面目さが、からかいの対象になって、冷笑をしていた部員からも徐々にその存在は大きなものになった。

身体を打ち付け、顔をすりむき、頭を打ち付けてもよろよろしながらボールに向かっていくその姿に胸を打たれた、ある時にはボールを追って支柱に激突して額を割って血だらけになりながらもボールを投げる私に向かってきた。

その日誰となく『頑張れ』の声がでた。次第に彼の特訓を受ける時には、皆の声援が飛ぶようになった。そんな彼の姿勢にそれまで『辛い』とか『やめたい』と言っていた選手が二度と泣き言を言わなくなった。

そして何よりも何度もへこたれそうになった私も彼のその姿勢に励まされた。

彼の姿勢は上級生になっても変わらなかった。下級生の練習にも最後まで付き合ってボール拾いもした。バレーは目立った進歩をしなかった(?)ように見えたが彼はバレー部の『心』だった。

 そんな彼をなんとか試合に出そう・・・・と機会を伺った。 三年になっても依然として150cmくらいの彼を最後には必ず試合に出て欲しい・・それが私のいやチームメートの願いだった。
そしてその時がきた。3年最後の大会になるインターハイ予選で彼にそのことを伝えた。応援に来ている両親の前で彼は入念にアップをした。何時声がかかるのか時々ベンチの私に視線を送った。

なかなか機会がなくゲームが進み敗色が濃厚になり、『もはやこれまで』と勝負を諦めた私は『もう後がない・・ここで使わなければ』と考え。

『T行け』と声をかけた。

『ハイ』と大きな声で返事をした彼は緊張からか青白い顔をしていた。

みんなが『頑張れ』と声をかけた。

皆祈るような気持ちだった・ベンチの選手は手を合わせた・・・彼がサーブを打つ瞬間『行け〜』ベンチの選手と私の声は叫びに似たものだった。彼の打ったボールはその気合に押されるようにひょろひょろと飛んでネットを越し・・ポトンと相手コートに落ちた。

二度目のサーブはネットにとどかなかった。しかしそれで十分だった。

感激やの私は目頭を熱くした。ベンチの選手は目を潤ました。

選手はTに飛びついた・・・『ウォー』選手達は吼えた・・彼が力以上の力を我々に与えた・・そこから奇跡の大逆転劇が始まり私達素人軍団は初めての県大会出場をきめた。

今でも思う・・・

その時彼の打った白球がその後のバレー部の後押しをしたと・・ 。

そして彼の『心』が全国への扉をこじ開けるきっかけになったことを。

何もかもが遅かったのか3年生でやっと声変わりをした彼は引退後持ち前の粘りで勉強を続け大学に進学・・数年の後再び私の前に現れた彼は190cmの大男になっていた・・そして彼は今・・福祉施設で社会的弱者の助けをする仕事についている。

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